ヴィヴィッドの記録

日々感じたこと、考えたことを記録してます

冬の記録

・自分と近しい人の物語

 久々に映画館で映画を見た。「そばかす」という映画を新宿武蔵野館へ観に行った。ミニシアターはシネコンとは全く違う空気が流れている。老若男女、映画が好きでその映画を見たくてその場を選び、足を運び、席に座る。シネコンのようなウキウキした空気がない。静かな熱気があって、好きだけど、なかなか足を運びにくい場所。

 この映画の主人公は静岡県に住むアロマンティックアセクシャル(多分。映画内でこの言葉は出てきていないが脚本家のインタビューにより明示されている)の女性、30歳くらい。実家に住んでおり、コールセンターで働いている。その主人公が家族にお見合いをこさえられてしまったり、そこで会った人に迫られたり、転職したり、旧友に偶然会って仲良くなったり、少しずつ心持ちが変わったり、変わらなかったり、勇気付けられたり、心挫かれたり、走り出したりする生活の映画である。

 私の話をする。私は紆余曲折あり、今のところアロマンティック・アセクシャルだと思っている。(今のところ、が重要である。もしかしたら私が知らないだけでもっと合致したラベリングがあるかもしれない)それを自認してから暫く経つから堪えられたがもしこれがそうかもしれない?どうなんだろう?と思ったり、周囲の言葉に違和感を言葉に出来ないまま感じていた頃なら結構キツい映画かもしれないな、と思った。本気で自分は何かが欠けていると思ったこともあるし、誰かと付き合ったとしてもいわゆる普通の恋人関係を結べないことを認められずに嘘を吐き続けることもあった。そんな数年を経て、いまは認めることができ、自分の感覚としてはそんなことよりケーキ食おうぜ、ってところまできているので、冷静にこの映画を観ることができた。

 そんな状態で観るこの映画はあるあるだらけで、そこにいるから体験せざるを得ない状態ばかりで、映画を観ながら『これが共感か……』なんてしみじみ思った。

 だとしたら恋愛する人たち、めっちゃズルいな。と思った。普段映画、ドラマ、歌詞、小説、そういった創作物で私が「なんでそうなるの…ちょっと何言ってるかわかんないっすね」ってなっているところでわかる〜、ってなったり、そりゃねえよ!ってなったりしているわけだ。ズルい。楽しすぎるじゃん、そんなの。創作物だけじゃない。知人や同僚との飲み会で、私が何を言うべきか分からなすぎて食べ物と酒に意識を向けているときに、共感したりしなかったりしているわけだ。羨ましい。勿論、共感すること、しないことだけが楽しみ方ではないことは分かっている。分かっているが、羨ましいと思ってしまう。

 私の話をする。私はよく日本語歌詞の曲を聞く。音やリズムで大好きになる曲もたくさんある。私は詩が好きだ。言葉が好きだ。だから歌詞にも勿論重きを置く。この曲いいな、と音で思った曲がある。なんて歌っているのだろう?と歌詞を読むとどうやらロマンティックな歌詞である。この瞬間に私は「もう私はこの曲を本当の意味で理解したり、分かることはない」と絶望してしまう。

 飲み会で、誰かに恋焦がれることや三大欲求のうちの一つを向けること、ある種暴力のような感情を向けることを身近な簡単な言葉で話す人に、あたかも分かっている、共感している、もしくは全く共感出来ない、というふりをしながら、早く帰りたいな、と思う夜。輪の中に入って楽しかったりつまらなかったりそんな思いをしたかった。

 映画を見てやっぱり自分に近しい人間の物語は必要なのだと思った。何も別に全てが同じでなくていい。実際私は主人公と違って、親族に結婚しないの?とプレッシャーをかけられたこともないし、子供は全く好きではないし、あそこまで分かりやすく誰かに言い寄られたことはない。

 X軸とY軸で分けて同じエリアにいるくらいでいいのだ。そんな人間が物語に現れるだけで、その物語がずっと私の心に浸透してくるし、少しだけ救われる。

 映画の終盤、主人公の同僚(おそらく主人公と同じセクシュアリティを持つ人)が自分と同じような人が生きている、存在するならそれだけでいい。的なことを言うのだが、そこまでのことは思わないにしろほんの少しだけその思いは分かる。いや、それは嘘で、観ている時は存在するだけでいい、なんてこと思わないだろ!恋愛至上主義のこの世に唾を吐け!!って思っていたけど。


 映画を見終わって、外に出る時に後ろにいた男女が、「恋愛をしない人もいるんだよね。前にドラマでも見た。分かんないけど分かるなあ」ということを話していて、その言葉を聞きながら、私は涙目でその二人の前を歩いた。映画を観ている時は「そういう人が自分以外にいて生きている、存在しているだけでいいなんて言葉だけで走り出せるかよ!ケッ!」と思っていたのに、ただ認知されただけで涙目で、いま歩いている場所が新宿でなければスキップをするほど、じんときた。(こんなことがあったからこそ作中でアロマンティック、アセクシャル、Aスペクトラムという言葉を出さなかったことに少し不満はある)

 ないものを証明するのは難しい。ないという状態は存在しないものとして扱われることが多いのだ。そして私自身、存在しているはずだと自分に暗示をかけ、結果的に相手を傷付けたり、自分が辛くなってしまったり、それを自認もしくは近い状態にある人に対して傷付けるような言動をしたと思う。今思い出しても全方面に頭を下げたい数年だった。

 色々映画の内容に対して思うところはあるが、そんな感じで全体的には満足した。

 と思っていたら「今夜すきやきだよ」という漫画原作のドラマがとんでもない良さで放送している。次が最終回だけれど、恐らくこのまま大満足のまま着地する。こんな共感と励ましと活力を与えてくれるドラマや映画、小説、漫画が増えるといいなあ。と思っている。


・海の話

 11月からコンスタントに海に潜っている。2014年にオープンウォーターダイバー(PADI)の資格を取ったもののなかなか続けられず、2023年3月現在100本以下の年数だけ長い初心者である。

 ダイビングをすると人生観が変わる、という人もいるけれどそこまでの感覚はない。が、不思議な感覚になる。海に潜る時、私は異世界に足を踏み入れた人間で、そこに存在している者たちに「お邪魔します。生活を乱してすみません。見るだけなんで許してください」という気持ちになる。実生活でこの異物感はなかなか味わえない。

 そもそも私は人間に対する興味がかなり薄く、許されるなら飼っている犬やかわいい動物、小説や映画、音楽の話だけをしていたい。そんな私にとって人間の数<海の生物の水中はとても楽しい。バディシステムなため、その人のことと自分のことは気にかけないといけないけど。

 海の中では二足歩行にならないため、方向の感覚が球体的に広がるのも面白い。空を飛んだり、宇宙の無重力空間というのもこういう感覚なのかもしれない。

 決して安くない趣味だが、万が一のことがあると死ぬから仕方がない金額だと思っている。これからも出来るだけ続けていきたい。