ヴィヴィッドの記録

日々感じたこと、考えたことを記録してます

夏の創作

 毎年恒例、夏の創作の話。

 高校生の時からの友人たちとやる、グループ展。今年でなんと7回目になった。社会人になってから、友人に誘われて軽いノリで参加。軽いノリではじめたのにもう7年も経っている。毎年毎年、クールな作品を出し続ける友人たち、最高。

 今年のテーマは「にぎりつぶす」まず初めに浮かぶ絵は同じ(握り拳)なんだけど、そこからいろんな方向に派生していくのが面白いテーマだな、と思った。

 昨年は2回目からずっと使っていたギャラリーが閉館していたため使えず、鎌倉のギャラリーを使用したが、今年はいつものギャラリーに復活。ポケモンのイベントが行われていたため、1日の平均来場者数は過去最高を記録した。

 このグループ展をやっていると昔からの友人、高校時代の先輩、先生、が来場してなんだか懐かしいような、切ないような、昔に戻ったような、不思議な気分になる。

 高校時代の私は今より絶対暗く、悲観的で、厭世的で、プライドが高く、排他的な人間であったと思うし、そんな心持ちで生きていた頃には全然戻りたくないけど、8月のこのイベントに接している時だけはその時の私が少しだけ顔を出す。


 表現することは素晴らしい営みだと毎年毎年思う。誰のためでもなく、だからといって自分のためだけではなく、誰かに褒められると嬉しくて、何も言われないと寂しいけど、誰かに評価されたいわけではない。そんなわけ分からない感情を抱きながら自分でも分かるような分からないような物を作る。同い年で同じ社会の中で生きる友人たちが私が見えていない世界のものを描写したり、思いつかないアイディアを現実のものにしたりする。その度に私はひどく感心する。

 友人たちが健やかで(多分)無理をせずにこのグループ展を続けられていることに感謝し、自分も自由に生きられているこの環境に感謝する。

 友人たち、自由な発想の中にこだわりを持っていて素晴らしいなと思う。類は友を呼ぶ、友人たちみんな表に出ている性格は違うけど、根っこの部分が似ている気がする。


 今年はにぎりつぶしたときに感じる"罪悪感"に目を向けた。

 町のなかにある忘れてしまったもの、小さな罪、小さな悪、そんなものの記録を写真に残した。


 いつもギリギリに作品を制作するから夏の写真ばかりになるの辞めたい。と思ってもう何年経っただろう?

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 もう一つは昨年作った作品の続きみたいな詩の作品。

 詩を書く時、表に出てこない言葉や思いがたくさんあってそれらの地層の上に綺麗な言葉が並べられている気がして、その小さな言葉、小さな思いが、自分の手で握りつぶしている気がして、それも一緒に展示した。

 友人のよく行くギャラリーのオーナーさんがわたしの作品に対して、手書きの殴り書きと清書された詩、どっちが作品かわからないね。と言ってくれて嬉しかった。

 


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 これは最近気付いて、いつか克服したいと思っているのだが、こういう表現活動を7年もやっているのに私は人にこういうことをやっていると言えない。演劇に携わっていることも、人前で踊っていたことも、詩を書いていることも、人に言えない。バカにされそうで、恥ずかしくて言えないのだ。絶対バカになんかされないって、恥ずかしいものではないとわかってるのに言えない。いつか職場や友人にこんなことやってるよ!って言えたらいいな、と最近思う。

 続けることを目標にしていないが、続けられて7年。8回目も恐らくやると思う。最近周年のバンドのライブになぜかよく行くのだが、「こんなに長く続けられるとは思わなかった」「長く続けようとは思ってなかった」なんて言葉を聴いて、またまた〜続けようと思わないと続けられないでしょ〜とか思っていたが、8年目に突入してその言葉が何となく分かってきた。共同制作は基本しないので、全く意味合いは違う気がするが。

 きっと来年の夏も、もっと早く製作に取り掛かればよかった、と言っている気がする。