ヴィヴィッドの記録

日々感じたこと、考えたことを記録してます

自分の知らない感情が生まれた時の対処法

対処法が分からない。

怒りでも、悲しみでも、悔しさでも、裏切られたという思いでも、諦めでも、絶望でも、

そのどれでもあるような、そのどれでもないようなそんな物を昨晩から抱えている。

 

私は感情の起伏をあまり表に出さない。出せない。そしてあまり起伏がない。

そんな私が何とも言えない、何にも似ていない感情を抱えている。

雨が一粒落ちてくる、その一歩前の空気みたいな、湿気を含んだ二酸化炭素の多い空気が身体を覆っている。

 

理解されていると思っていた私の傲慢さ、怠惰さが招いた感情だ。

誰かを好きになることも嫌いになることもあまり無いから、人間関係は安定していて、他人の心は自分が操れるものではない、と心底思っているから相手に期待を寄せることも、逆に裏切られた!という思いを抱くことも少ない。

人間関係ならそう思えるのに、私が作ったものが絡まるとどうしてこんなに乱されてしまうのだろう。

 

そういえば、学生最後の冬にもこんな感情を抱いていたかもしれない。

あの時にも色んな思いがあって、感情があって、山手線で大好きなアーティストの曲を聴きながら泣いた。今日、世界が生まれ変わる、と叫ぶ歌声を聴きながら泣いた。その日は何も起きなかったし、状況は何も変わらなかったけど。

 

理解されているという思い込み、その自分の浅はかさに腹がたつ。伝わらないもどかしさ。

 

この感情の対処法をわたしは本当は知っている。

また同じように当たるしかないのだ。

当たろう。

 

書きながらあの冬のことを思い出して、後悔が沢山あることに気がついた。

今でもあの時に聴いた曲の響き方と空席ばかりの山手線の光景が、ついこの間のように思い浮かぶ。