ヴィヴィッドの記録

日々感じたこと、考えたことを記録してます

つくる、造る、作る、創る、取り繕う

昨年から年に一度行なっているグループ展が終わった。

グループ展は高校時代からの友人達と行なっている。

高校生の時、こんな年齢になっても仲がいいこと、作品を持ち寄って展示会をすることなんて全く想像していなかった。

あの頃はそれぞれがそれぞれでやりたい事をやっていたし、それぞれやらなきゃいけない事もあったし、自由だったけど自由じゃなかった。これからどうなっていくのか、どうしていきたいのか、そんなことばかり考えていた。未来のことばかり考えていた。

 

27歳になった。

アラサーである。

仕事もしている。しかもちゃんとした企業で、フルタイムで。(ここも全く想像していなかった未来だ)

わざとなのか、無意識なのか、逃げなのか、分からないけどあの時よりもわたしは未来を見ていない。

ベッドに横たわって、目を閉じて目を開ければ明日だし、それが続くし、そうやって年を重ねていくのだなあ、と思ってる。

漠然とした未来について思いを馳せることはない。明日が来ないことは時々考えるけど、いつか死んでしまうことは時々考えるけど、少し先のぼんやりとした何かを考えることはない。

この変化が何なのか分からない。

諦めなのか、大人になるってことなのか、子供のまま大人になっているってことなのか。

 

そんなことはどうでもよくて、そんなことを書きたくてこのページを開いたわけではなく。

自らの想像力を持って何かを作るということはとても楽しいし、面白いし、刺激的だと思った。

同じテーマなのに表出する形はそれぞれ違っていて、この人の見ている世界はこんななのかー、と驚く。10年の付き合いなのに、私は彼女の見ている世界を知らなかったのだ。

そういえば昔、私の見ている赤色と他人が見ている赤色が同じなのか、違うのか、とにかく気になって仕方がなかった。

その疑問の答えは今もよく分からない。

大学の認知心理学の授業でやった気がするが詳しく覚えていない。その頃わたしは環境心理学と社会心理学社会学、宗教学に夢中だった。

 

せっかくのお盆休みなのに作品を作り、作品を展示し、在廊し、海にもプールにもフェスにも行かず何をしているんだ、とも思うが、来年は何を作ろう、と考えている自分がいる。

 

社会の仕組みから一歩離れて作品を学生みたいに自由に作る。

しかし、大人な自分が時々現れて、発想を取り繕う。

手を離れてそれを見てみると、何だか出来上がったものに違和感を覚える。

これが27歳の感覚なんだろうなあ、と思う。

 

それから来年は夏フェスにも海にもプールにも行きたいなあ、と思う。